「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第6次評価報告書が8月9日に発表された。前回の第5次報告書(2013~2014年にIPCCが公表)から8年ほどが経過している。
多くの研究者が膨大なデータを基に分析、研究を行ったものがまとめられたものがこのIPCC報告書であり、気候変動に関する最も信頼が高いものである。
気候変動の要因となるものとしては、人間活動の他にも、地球自体の活動(地球自体の地下活動、自転、公転など)、太陽活動、さらには宇宙的な活動というのも可能性レベルとしてその要素としては考えられるが、そのうちどの要素が気候変動へのインパクトとしてそれぞれどの程度か、というのは複雑に相互的に影響・関係しているので、難しいのではないかと思うが、人間活動による要素が何らかの影響は与えていることは間違いないということが表現された。
仮に、この瞬間に産業革命以前のレベルの人間活動として環境へ与える影響が激減したとしても、環境への影響は慣性が効いていると思うので、すぐには産業革命以前の状態に戻らず、仮に長い時間が経過したのちにある程度元の状態に戻ったとしても完全に同じものにはならないのだと思う。
火力発電所など化石燃料(特に石炭)は二酸化炭素を空気中に排出している。それをやめて、太陽光などの再生可能エネルギーを増やす方向にし、また、二酸化炭素を排出しない原子力をある程度の割合で維持する、というのが政府のエネルギー基本計画の考え方として想像できるが、いずれも様々な課題、リスクが山積している状況が伺える。今は夢の技術である核融合発電がいずれ実現したとしても、かつての夢の技術であった原子力発電がそうであったように、デメリットが必ずあるもので、それによって人類が救われるという単純なものではない。
人類の進化においてエネルギーは必要不可欠なものであり、人口増加、衣食住において、各種機器・機械類の増加が相乗効果となり爆発的に必要なエネルギー量が増えてきた中、技術発展により、科学が人類を前身させいくなか、新エネルギーの開発や効率的なエネルギー利用が行われていることも事実であるが、増加のスピードには到底及ばない、という状況なのだと思う。
そういう流れや枠組みの中、二酸化炭素などの温室効果ガスの排出枠を定め、さらにそれを取引する排出権取引やSDGsといったものが活発になっている。
気候変動が恐ろしいのは人間の時間感覚からすると緩やかに変化するため、自分の世代ではあまり大きな影響がない場合、そのまま放置して気がついた時はもう手遅れだった、ということが起こる可能性は十分にある。走り出した変化はすぐには止まらない。そうならないためにもこのIPCCの報告書をこれまで以上に考える必要がある。
とはいえ、一個人の自分の立場で考えると、何をどうしたら良いのか、例えば冷房をより使わなくしたほうが良いのか・・・、でも暑いのは嫌だし。自分だけ少し節約してもほとんど変わらないし、という心の奥底からの囁きもあるのは間違いない事実であるが、そういったものにも負けず、私たち一人ひとりの行動変容がどうしても必要になっている。個人レベル、企業レベル、国・地域レベルでエネルギー消費量を減らしつつ、エネルギー効率を高めるにはどうしたら良いのか。環境への負荷を最小限に抑えつつ、生活の質を高めるにはどうしたら良いのか。
そしてふと思う。地球の資源は(地球外に移住しなければ)有限でありその中で生きる人類として何もかもが常に右肩上がりの拡大・成長が必要なのか。とはいえ、例えば世界の人口爆発が起こらず、どこかのタイミングで減少に転じ、いつか世界全体が高齢化社会となったら悲しい気もする・・・。
グテーレス事務総長はこう表現している。
“Today’s IPCC Working Group 1 Report is a ‘Code Red’ for humanity … This report must sound a death knell for coal and fossil fuels, before they destroy our planet.”
人類は”地球殺し”の犯人になってしまうのか、そうでないのか、瀬戸際なのかもしれない。